205系600番台これまでの振り返り 湘南色編その2

 残りの4編成も振り返っていきます。今回はY1編成から。

 

 Y1は2013年7月1日の出場。番号的には600番台のトップナンバーを冠していますが、600番台は種車の編成番号が偶数番だと−1、奇数番だと+1になるように改番されたので、このY1は元ケヨ2編成となります。写真は出場翌月に日光線の運用に入る姿。2週間後に宇都宮線での営業運転も控えています。

 

 黒磯駅1番線を発車する宇都宮線デビューしてまだ間もないY1。まだ構内直流化の話もそこまで話題になってなかった頃で機待線には直流ELがいます。1番線の上り方にデッドセクションがあったため、1番線に発着する列車は到着直前、発車直後に車内の照明が消えるのが特徴的でした。

 

 2パン上昇後のY1。これといった特徴もなかったY1ですが、1番という番号的に撮れたり乗ったりするときに少し嬉しくなる編成ではありました。

 

 2015年3月より本物の出会い栃木キャンペーンに伴い、この年の前にY8に施されていたゆるキャララッピングを更に派手にした、とちキャラーズラッピング編成となりました。600番台で腰部にもラッピングが施されたのは初となりました。このラッピングは遠目で見てもだいぶ目立っていましたね。

 

 代掻きを終え田植え待ちの水田の傍をゆくラッピング時代のY1。このラッピングは翌年1月まで続きました。

 

 ラッピングが剥がされて少し経った頃のY1。カシオペアを撮りに来ており、雪晴れを狙えるかと思いきや気温が上がり過ぎてこの有様。霧が出るほどなので午後には雪も無くなってました。そしてこの頃から宇都宮方のJRマークが消え始めてますね。

 

 2016年12月に撮影したY1。床下が綺麗めなので検査明けからそれほど経ってない頃でしょうか。JRマークも復活しています。

 

 引退1週間前のY1。JRマークが死にかけです。この編成に限ったことじゃないですが、末期はスカートの塗装が一部剥げてる編成が何本か見られましたね。

 

 

 

 Y9編成は2013年7月末に出場。600番台メルヘン顔では最後の出場となり、8月下旬の黒磯までの営業運転開始前に日光色4編成、湘南色6編成の計10編成が出揃いました。しかし211系の運用は205系が運用入りした後もまだ2運用残っていました。メルヘン顔の205系はこのとき既に武蔵野線用の編成しか残っておらず、この時点でどのようにして211系の運用を置き換えるかは憶測の域を出ませんでした。

 

 小金井行きのY9。パンタを2丁上げ始めた頃です。

 

 

 何のせいか忘れましたが、氏家以南運転見合わせにより氏家折り返しの上り列車として運転されたY9。氏家幕を撮れたのはこのときだけでした。同じ日に運用が乱れて小山の運用に入ってた国府津の233系がこれまた黒磯ローカルでのダイヤ乱れで205系の運用に入っていました。

 

 

 黒磯方にとちキャララッピングのY1を従えるY9先頭の8連。この頃は北斗星が無くなり虚無になりながら撮ってましたね。

 

 

 今度は矢板の表示を出すY9。矢板駅での撮影なので、折り返し待ちで幕を回す前の様子です。メルヘン顔のイレギュラーな行先は何故かY9ばかりですね。この時は送電系統か信号の不具合だったと思いますが、那須方面に出かけていたので、西那須野から代行バス矢板まで来て、この矢板始発のY9に乗り込みました。隣のY7は矢板1番に入ってしまったので、折り返すことも出来ず再開を待つのみでした。

 

 定番ポイントでのY9。14系500番台の譲渡甲種待ちでした。

 

 そして末期1年のY9はほとんど運用に入らない日々が続き、稼働しても数ヶ月に一度とかそんなレベルでした。走行距離調整の関係かと思われますが、Y9だけ極端に距離が多かったんでしょうかね?

 

 そんなこんなで205系最終日、黒磯からの205系最終営業列車の運用に入っていたのがY9でした。そしてY9が自分にとっての205系最終乗車の編成となりました。いろはであるY3以外だと地元に帰ってきてからの半年で日光色を含めても最も乗れていなかった(1回)ので、いい締め括りになったのかなと思います。

 

 

 続いては原型顔の2編成です。

 

 600番台初の原型顔となるY12は2014年2月の出場となります。今までの10本と違い、元埼京線用の原型顔編成が種車の600番台として初めて姿を現しました。原型顔205系に新たなカラーバリエーションが加わった、しかも近郊型電車で王道の湘南色となり、当時は「噓電の具現化」等々話題となりました。

 登場時既に600番台が黒磯までの営業運転を始めていたものの、今までの例に漏れずY12は日光線から営業運転入り。黒磯運用に入ったのは3月に入ってからでした。

(写真の使いまわしごめんなさい)

 

 初めて黒磯運用に入ったのがパンタ2基上昇が定位になる直前だったので、Y12の1基のみ上昇時の写真自体が少ないですが、8連に入る姿はギリギリ撮影していました。1基上昇時代の混色8連の次くらいに実現回数は少なかったと思われます。

 

 黒磯デビューした翌月のY12を矢板にて。床下はまだ綺麗ですがパンタは2基上昇しています。

 

 宇都宮駅でのY12。登場前まで東京の電車だと思ってただけに、まさかこの顔が日常でお世話になるとは思いもしませんでした。ちなみにY12は600番台で初めての内扇モーター搭載車でした。

 

 1枚目と同じ場所で撮ったY12。およそ3ヶ月後ですが、その間にパンタは2基上昇が定位になり、橋梁は補修の上塗り替えられ、2枚を比べても変化に富んでいることがわかります。

 

 2016年の大宮鉄道ふれあいフェアにて車掌体験に使われるY12のクハ205。那須塩原表示や日光線内各駅の表示など珍しい表示も見ることが出来ました。

 

 最後の1年のGWに撮影したY12先頭の8連。17年から昨年夏までは地元を離れてたのでその間の記録はほぼ無いです。離れていた間に原型顔の顔色は悪くなったように思います。Y11の宇都宮方は極端ですが(

 

 試運転の131系TN1編成と並ぶY12。ラスト1年のY12はJRマークも消えかかっています。ライトの色が対照的ですね。

 

 そして引退までの1ヶ月、Y12に前後それぞれ異なるヘッドマークが付けられました。正直ヘッドマークが付かなかったら付いてない他の編成の末期も記録していたかすら怪しいので、記録には難儀しましたが付いてくれてよかったとは思います。2017年初頭以降の記録が絶望的になかったので...。

 

 同じ日の黒磯方のヘッドマーク。マークが付いてから改正までの数少ない土日ではやはり記録がとてもしにくかったです。

 

 

 そして600番台で最後に登場したのがY11。2014年3月の出場となります。Y11は600番台で唯一登場時からパンタ2基上昇が定位となっている編成でした。登場時はY12と同じく内扇モーターでした。

 

 8連の宇都宮方のY11。この時は後ろも原型顔のY12でした。右に写り込んでるモーターカーが東日本カラーの400Aで時代を感じます。

 

 下り8連の先頭に立つY11。全検明け最初の運用で黒磯まで来たEF66 27のついででしたがこれ含め普通電車も満足できる記録になりました。朝の下りで順光になるポイントが少ないので。

 

 矢板表示で走行するY11。決して誤表示などではなく、矢板以北で何らかの理由で運転を見合わせていたための措置です。この後実際に使用しているY9の矢板幕も撮影出来てますが、原型顔のイレギュラーな行先表示は実際に使っているところだとこのY11くらいですね。しかも路線名と交互表示のため、走行中に行先表示で来てくれるかは運次第なのによく沿線で撮ったなとは思います。

 

 定番ポイントでのY11。この頃何故かY11の記録ばっかでY12がほとんど記録出来てませんでした。まだ宇都宮方の前面帯が綺麗ですね。

 

 最後の1年の日光色との混色が来ても話題にならなかった頃のY11先頭混色8連。原型顔先頭の混色の記録がなかったので個人的に嬉しい記録となりました。

 

 そして末期のY11先頭8連。宇都宮方の前面の緑がお亡くなりになった姿を順光で撮れたのはこのときくらいでした。生き生きしてる姿の頃の記録が潤沢なので末期のこの姿に食指が向かなかったってのはありますね...。

 

 

 ...とまあ各編成の振り返りは以上となります。記事を書くに当たってこれまで撮影した写真を記事に載せてない分も含めて振り返ってみましたが、205系以外でもこんなの撮ってたんだーっていうのがしばしばあって面白かったですね。機会があればその辺も記事にしてみたいですね。というか205系自体がメインじゃない撮影の方が多いので...。

 いちばん多かった2014年~2016年の記録がほとんどなのはお許しください。

 

 気が向いたら後編も書きます。