第7回プラレールひろばinさっぽろ DAY-26

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 ホテルで朝飯を食べながら大雪を見送り。この後に備えます。

 

 ロイヤルは本来の行程だと斜里までツアー客を迎えに行ってから北見に向かうはずですが、機関車の不調により斜里〜網走で区間運休とのこと。ちょうど網走を出発した時に入線するようでした。

 

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 キハ40の普通列車に乗って向かった先は西女満別。途中40に挟まれた富良野色のキハ150とすれ違いました。旭川に150が集約された今、色は関係なく運用に就いているんですかね。

 西女満別駅はご存知女満別空港の最寄駅。自分の他にも4人組が降りて行きましたが、目的地はどうやら空港のようでした。

 

 徒歩で向かった先は石北本線の撮影地。ここで1時間ほど待てばロイヤルが来るはずでしたが、通過時間頃になっても網走にいるとの目撃が。聞くと徹夜で機関車の整備を行なっていたとのことで、ちゃんと動くか不安がつのります。地元でよく撮影していたこともあって待つことには慣れているので、乗るはずだったヨンマルを撮って引き続き待ちます。

 

 結局1時間以上遅れて通過。クルーズ列車とは思えないくらいかっ飛ばしていきました。何はともあれ記録できてよかったです。今年は重連の片側が原色のDEで、編成美は微妙ですが、ネタ的には面白い編成となっていました。ちなみに調子が悪いのは黄色の方のようで、この日は何とか遅れながらも旭川には辿り着いたみたいですが、翌日は遂に別の機関車を手配して札幌まで向かったようです。代走はなんとノロッコ色の重連だったようで…。

 

 時間的に反対側からの普通も来るはずなので、駅に戻る途中で一発。ロイヤルの遅れを引きずっての通過となりました。

 

 オホーツク1号の時刻が近かったので、駅西側の橋から撮影。このアングルからだとわかりにくいですが…

 

 遠軽方の先頭は新特急色のキハ183-8565号車。後打ちとはいえvery countryside stationを通過する新特急色を撮ることができ満足です。

 

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 この後は北見に向かいます。来た列車には朝にすれ違った富良野色のキハ150が連結されていました。網走で片方のヨンマルは切り離したようです。

 

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 2+1列のシート配置など、ベースにしただけあって150の車内は東のキハ100系列と似てるところも。

 

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 北見に到着すると、後ろの150は切り離され、ここからはヨンマル単独になるようです。やっぱり富良野色だと石北線には見えません。

 

 北見駅の貨物側線には通称石北臨貨と呼ばれる貨物列車の編成が。停車中ではあるものの、DF200のプッシュプル編成も見ることが出来ました。

 

 先程西女満別で見た新特急色の編成が折り返し大雪となって上ってきました。オホーツクだけでなく大雪マークの新特急色も見られてさっきから満足しかしてません。ただ結局この時はハイキロの新特急色が見れず終いでした。

 

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 昼飯に困ってましたが時間もなかったので、駅から近いセコマで例のパスタを買って網走行きのキハ54の車内へ。すると9月で気温もまだそこそこかつ雨で高湿度なのに暖房が点けられていて真顔。美幌までロングシート以外の座席も埋まり、部活帰りの学生もたくさん乗ってきたので、飯も0系由来の転クロを楽しむ暇も少なかったです。

 

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 網走に戻って、続いて釧網本線の54に乗り換え。今度は集団見合い配置のクロスシートで、進行方向逆向きではあるものの座席は確保。幸い駅弁のかにめしを買う時間もあったので夕飯用に確保。

 

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 海側の景色はよく見えなかったので、中斜里の専用線跡を望みながらお茶を濁します。98年までコキとトキで組成された貨物列車が釧路方からここまで来ていたというんですから驚きです。湿原を往く貨物列車、見てみたかったですね。

 沿線にはよく鹿が出没し、何度か急制動がかかったり、汽笛を小刻みに鳴らして走行していました。

 

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 美留和駅はヨ3500の車体が使われているダルマ駅舎。160キロを超える釧網本線で唯一のダルマ駅舎だそう。道内のダルマ駅舎の中でも特に状態がいいらしく、数年おきに地元の小学校の児童の手で塗り替えられいるようです。この手の駅舎にしては珍しく地元の方に大事にされているんですね。エアサスの文字が入ったドアが気になりますが(

 

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 標茶機関区跡(たぶん)。大鐵でトーマスとして活躍しているC11 227もかつてここを拠点としていた時期もありました。4年前に廃線跡を巡った標津線もここ標茶から分かれていたそうです。

 

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 SLやノロッコの折り返し駅でもある塘路に到着。もう湿原の中を走る区間ですが、日は沈み何も見えませんでした。花咲線とともに再履修ですね。

 

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 網走からおよそ3時間半かけて終点釧路に到着。雄別鉄道はお乗り換えです(4年ぶり)。

 

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 前回釧路に来た時はヨンマルがまだ幅を利かせていましたが、今回釧路で見たヨンマルは花咲線から来た旭川所属のラッピング車両のみ。首都圏色と北海道色の車は全て旭川に行くか廃車となってしまったようです。

 釧路では10分程度の滞在。サックラとむき氷下魚を買い、札幌行き最終のおおぞらに乗り込みます。

 

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 札幌まではちょうど4時間くらい。網走で買ったかにめしや釧路で買った氷下魚をつまみにサックラを飲んで寝たら割とすぐ南千歳でした。

 釧路往復の特急も前来た時ははキハ283がスーパーおおぞらとして走っていましたが、列車名からスーパーはとれておおぞらに戻り、車両は今年遂にキハ261系に置き換えられてしまい、どんどん知ってる北海道がなくなっていくなぁと感じる次第です。261系自体は好きなんですけどね。283系は知っての通り石北本線特急への転用が決まっているので、183系が引退した後もオホーツクは乗りに行ってみたいですね。

 

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 時間的に最終オホーツクや宗谷なども札幌に着く時間でしたが、連日の遅寝早起きで疲れていたのでさっさとクソデカニューシャトルにすすきのまで乗り、ホテルに行きつきました。

 チェックインした後、カツゲンを求めてすすきのを練り歩きましたが、日付が変わった後にもかかわらず全人類が騒ぎ倒しててびっくり。夜の道内で一番賑やかなまでありますね。

 

 DAY-25に続く

第7回プラレールひろばinさっぽろ DAY-28〜DAY-27

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 翌日も午後までは用があり、解放されてからは18時頃まで暇なのでラッキーピエロで早めの夕食。初日に続き2回目なので、今回は社長の好物だというラッキーエッグバーガーを注文。すると1番の呼び出し番号の札を渡され、宝くじの当たりのような感じで鐘を鳴らされました。ラッキーナンバーということで、ラッキーワン賞の証書とうちわを頂きました。

 

 時間が近づいてきたので改札内に入場。今日も281系に乗車します。今回は量産車で構成された編成です。

 

 向かった先は東室蘭。この日はここで泊まります。とその前に…

 

 短い区間ですがキハ143に体験乗車します。昔から乗りたかった上に737系への置き換えも決まっているので、ようやく乗車が叶って嬉しい限りです。

 

 反対側から来る上りの143に乗れる限界の富浦で下車。降りた瞬間785系の特急が通過していきましたが速過ぎて撮れず。

 

 すぐに東室蘭に戻ります。少し143の車体を観察しますが、外板の痛みや窓の汚れなど満身創痍と感じる部分も。

 

 車内は2+1列に改められてはいるものの、真岡の50系っぽさを感じる当たり同じ50系なんだなと思いました。

 

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 翌朝は昨日富浦から乗った143で終点苫小牧まで向かいます。明るくなっても景色が全然見えないくらいに窓の汚れが半端ないです。二重窓も何故か下がったまま固定されていたようでした。

 

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 1時間ほどPDCを楽しみ苫小牧に到着。ここからは手稲行きの普通電車に乗り換えますが、待っていたのはなんと2本しかいない735系。前回札幌に行った際にも見ることはなかったので、札幌圏の普通電車が乗り入れる南限でいきなり出会えてびっくりです。

 

 終点丁寧までは1時間半ほど。朝の時間帯に札幌をスルー出来たのは大きいですね。手稲からはノーマルな733系で小樽へ向かいます。

 

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 北本でんしゃ広場のモジュールでも見た張碓近辺を通過。札樽間の本数もそれなりにありエアポートも乗り入れる区間にこのような絶景があるとは感動です。ただ線路スレスレまで海水浴客で賑わってた頃が嘘のように人はいませんでした。

 

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 小樽に到着。改札を出ると北プラのリーダーことともちん氏がお出迎え。駅前でバスの1日券を購入したら周辺の観光に出かけます。

 

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 手宮線の廃線跡を少し歩きます。跡というかモロ残ってますが。マニアじゃない人には合法線路なうが出来る場所として親しまれています。

 

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 小樽の街中には至る所に歴史的建造物がありますが、その中でも銀行由来が多めです。というか歩いてると目に歴史的建造物が入らない時がなかった気がします。

 

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 リーダーにおすすめされて小樽で蒲鉾を製造販売しているかま栄の直売店にてパンロールを購入。蒲鉾をパンで巻いて揚げたものですが、これが意外に合うんです。中はしっかり蒲鉾なのに外側はアツアツのスナックで中々美味しかったです。かま栄の直販店でしか販売されておらず、北海道でしか賞味できないものとなっています。

 

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 言わずと知れた小樽運河。珍しくめっちゃ観光してます。

 

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 徒歩で街中をぶらついた後はバスに乗って小樽市総合博物館へ。昔本で見た保存車たちを間近に見ることが出来て感動。道内用交流ELやマニ30 など、個人的に見てみたかった車ともようやく対面出来て満足です。車両の写真は気が向いたら載せます。

 

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 屋内にはSL検修で使用された工具類の展示も。やっぱり扱う物が大きかったからか工具も大きいことにびっくりしました。ひ弱な自分には扱えなさそうです。

 

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 お昼はリーダー行きつけの喫茶店ルナパークにて鉄板ナポリタンを頂きました。リーダーは勿論?納豆スパ。Twitterのアイコンが変わる瞬間を目撃しました。

 ご飯の後は小樽駅へ戻り、軽く土産屋を物色してからリーダーとお別れ。1ヶ月後にまた会うことを誓って(???)小樽を出ました。

 

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 エアポートの733系で札幌まで出て、札幌からは789系ライラック旭川まで。何だかんだ北の電車特急は初めてでした。

 

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 旭川では擬似青函連絡を体験。高架化した函館で北斗もといキハ183系の大雪に乗り換えます。

 乗った車は1501番。元サロベツ用でGU座席、コンセント付きの車でした。正直同じような座席の281と261に乗っていたのでちょっと飽きてきたところですが、183の中では当たりかつ番号的にも乗りたかったのでこちらを選択。自由席の方が豪華ってどういうことですかね…。お陰様で電源乞食も出来ました。

 

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 遠軽を越えたところでこの旅で初めて新特急色に遭遇。復活するまで一生縁のない塗装だと思っていたので、これは是非とも見ておきたいと思っていました。翌日撮ることが出来れば万々歳です。

 

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 旭川からおよそ4時間かけて網走に到着。前に来た時に比べてやたら豪華な待合室があるなーと思ったら、なんとそれは隣の線路に停まってる伊豆急のロイヤルエクスプレスでした。果てまで来て首都圏の電車に出会うとは思わずびっくり。両端を見渡しましたが機関車は付いておらず車庫の方にいるようでした。地元の方によると、どうも普段なら編成ごと車庫にしまうのに今日だけ駅に留置されているとのこと。様子がおかしいですね。ともあれ途中どっかで見れればいいな程度にしか思ってなかった出張ロイヤルに網走で出会うことが出来て満足。と同時に翌日にすることが大体固まりました。

 

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 夕飯を買いにホテルからセコマまで歩いてく途中に宗谷色のキハ40の入換と遭遇。結局こちらはこの時しか見られませんでした。

 

 セコマで雪美やきとり丼を買いホテルでようやく夕食にありつけました。

 

 DAY-26に続く

 

#新作ぽろ お手軽塗り替え編

 第7回プラレールひろばinさっぽろ向けにワムとキハ261を製作しましたが、それらを塗装するついでに他の車両も思いつきで塗装しました。




 まずは三井芦別鉄道DD50タイプ。初手から塗り替えだけちゃうんかいって話ですね。申し訳ございませんでした。

 元々はほぼDD13と同型の名古屋臨海鉄道ND552形として作っていましたが、名古屋へ行く用事(#cg_ootd)が消えてしまい、未塗装のまま放置されていた車体にスプレーノズルを輪切りにした4灯ライトをワム480000の側面の切れ端と組み合わせてボンネットに接着。三井芦別カラーに塗り替えました。キャブの形が違うのでタイプとしていますが、ボンネットが細いのでDD51種車にするよりは雰囲気が出たと思います。DD13の作り方はND552かDD13が完成した時に詳しく紹介しようと思います。



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 2つ目は雄別鉄道1001。C56の同型機なので、C56を塗り替えました。キハ261の白を塗るついでに塗装しています。マスキングはキャブ横の窓のみ。前面窓は製品のシールをそのままマスキング代わりにし、塗ってからシールを剥がしてそれっぽくしました。

 冷蔵庫が載る貨車は実際にはトキ900改造と思われる3軸長物車(チサ100?)ですが、いかんせん思いついたのが出発2日前に思いついたので、凝る暇がありませんでした。冷蔵庫も1/1しかなかったので…。

 いつかC11 123も作って雄別並びもやってみたいですね。


第7回プラレールひろばinさっぽろ DAY−30~DAY−29

 第7回プラレールひろばinさっぽろ(以下#さっぽろ7)が迫る中、1ヶ月前に北海道へ行く機会がありました。渡道はクソ遠回りした年末帰省以来2年9ヶ月ぶり3回目です。今回は新幹線で道内入り、初日から3日間は用事のため函館滞在となりますが、DAY-30となる到着初日に北海道LOVEパス(以下ラブホ)を購入し、翌日から使えるように備えます。新函館に到着早々1400番込みの北斗が入線。編成中1両だけの7次車なので車体の質感が異なり明らかに浮いています。

 

 

 翌日は早起きし、早速ラブホを使い函館駅に入場し藤城支線と砂原支線経由の函館線始発列車のヨンマルに乗ります。新幹線開通まで渡道経験がなく、藤城線を経由していた優等列車に乗れてなかったので、初乗車となりました。朝日に照らされる3両編成のヨンマルが高架カーブを駆ける姿は最高でした。

 

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 仁山経由の本線と合流する直前で小沼を眺めることが出来ましたが、この後8回くらい同じ場所を通ったのに最初の1回を超えるほど綺麗に見れたのは一度もありませんでした。

 

 大沼に到着すると、後ろ2両の切り離しと北斗の通過待ちを行います。札幌方ユニットは最新のST-1225でした。このアングルでも編成半分の3両目まで7次車で構成されているのがわかります。

 

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 大沼を過ぎると駒ヶ岳駅経由の本線と分かれて砂原支線に入ります。駒ヶ岳の西側を通る本線に対し東側をぐるっと回るので、所要時間は倍近くになります。かつて200系が置かれていた流山温泉駅もこの砂原支線内にありました。

 

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 遠回りになるので普通列車しか通ってないかと思っていました。やたらPC枕木や本線級の重そうなレールで整備された区間もあり変だなと思ったら、途中貨物とすれ違ってびっくり。調べたら上り貨物は砂原支線を経由するようです。どんな理由があるのでしょう?

 

 

 函館から2時間弱で森のくにに到着。森といえばいかめしですが、時刻はまだ7時40分過ぎ。いかめしが売られる駅前商店が開くのは9時ですが、直前で一旦森を離脱するので、西九州新幹線を撮りながら時間潰しします。

 

 そして来たのはキハ281系北斗。これまで北斗にも乗り函館にも行ってはいたけど乗れていなかった281系にようやく乗ることを果たしました。

 

 函館までは50分の小さな旅路。飽き足らず、折り返しの北斗にも乗車します。

 

 およそ3時間ぶりの森駅に到着。子供の頃からスーパーとっきゅうとして本で馴染みがあったキハ281に乗れて満足です。でもまだ目的は果たせてないのでまだまだ乗りたいですね。

 

 

 朝に来た時より時間があるので、貨物を撮ったり駅周辺をぶらついて時間を潰します。DF200を撮る機会は全然ないので、撮れるときに撮っておきます。

 

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 今度こそいかめしを購入。261系の北斗で函館へ戻ります。一個食べた後に写真を撮ってないことに気付きました。

 

 函館での用事が済み、夕方以降にも時間が出来たので今度は函館に戻ってこれる範囲まで出かけてみます。

 そして次に乗るのはキハ281-901先頭の北斗。この901号車ですが、引退直前の短い期間だけなんとスカートの塗装とロゴが登場時の仕様に復元されました。青の塗装も隣の282と比べると濃い青になっていました。札幌方先頭車ということで、自由席となっています。

 

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 車内は変化なしですが、901は座席の交換がされてないので、原型の青い座席となっています。個人的に281系のイメージに合う方はこちらの座席ですね。

 

 

 2時間半ほどで着いたのは伊達紋別。木下ひなたの地元らしいです。函館にはいなかったH100形が停車していました。

 

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 胆振線の遺構もチラ見。

 

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 函館までは最終北斗の261系で戻ります。伊達紋別セイコーマートで購入した月見やきとり丼を夕飯に頂きました。

 

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 月を反射させる夜の内浦湾を眺めます。森まで戻ると昼間寝ていたマルタイが丁度出庫するタイミングで、入線時に並走しました。

 

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 この日3回目の函館到着。ここにいる寝台列車を一目見てみたかったです。

 

DAY-28に続く

ワム480000 チップ輸送貨車

 キハ261 系と同じく第7回プラレールひろばinさっぽろ向けに製作。そこそこ簡単に作れそうに見えて意外に作例が見当たらず、個人的に見たかったので製作。

 

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 特徴的な片側の側構体はプロッターを使い製作。柵です。

 

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 製品のチビワムの側面片側と屋根をぶち抜き、開けた側面にプロッターでカットした板を組み合わせた側面を接着。片側だけなのでだいぶ楽でした。

 

 

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 塗装はガイアのコンテナレッドを使用。プラレールでは紫コンテナが製品化されているので滅多に使用する機会がない塗料です。

 表記とロゴは太平洋フェリーの中で作ったデータを先に北海道に到着していたやはさんに印刷してもらい、現地で貼り付けました。

 ブルーシートは作り損ねたので、次の運転会では被せた状態で披露したいですね。

 

 #さっぽろ7 では以前はまのべ氏が製作したトラ90000を砂川氏が持ってきていたので、混結させて過渡期のチップ輸送を再現。中々それっぽくなって満足です。

キハ261系1000番台 新塗装

 

森にて

 2022年10月に開催された第7回プラレールひろばinさっぽろに向けて製作を開始。元は2018年のさっぽろに向けて261系を作りかけてましたが、4年の間に789系の寸法ベースかつ抜き窓で製品化されるという快挙。そしてさっぽろの1ヶ月前に別の用事で北海道に行く機会があり、そこで261系に惹かれたのと、今回新塗装が少ないのでは?という懸念もあり、北海道から帰った後に製作を決意。

 

 

 今回仕上げたのは9両。うち両端ユニット含む6両が7次車で、残りの3両の260-1300が4年前に作ろうとして集めてた789系の中間車を使用して6次車以前の車をモデルとしています。7次車のうち1両(260-1100)はきょーやさんから頂いた複製品を使用しています。

 

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 7次車は窓と乗務員扉埋めと窓下のビード追加、6次車以前の車は789系中間車を種車にしたのでそれに加えてドア位置を現行中間車に寄せるよう切り継ぎ改造を行いました。

 

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 塗装はクレオスのGXクールホワイト、パープル、ガイアのパールシルバーでドア周りと帯を塗装しました。車体は6次車以前の車はガイアのブライトシルバーにアクリジョンのつや消しクリヤーを吹き、7次車はクレオスのスーパークロームシルバー2にアクリジョンの光沢クリヤーを吹きました。7次車とそれ以外で銀の塗装を変えることにより、製造次車別に車体のステンレス地の質感の違いが再現できました。ステンレス地の塗装表現はきょーやさんのアドバイスによるものです。おかげさまで7次車のギラギラ感を出すことができ満足です。

 両先頭車の前頭部は製品の塗装をそのまま活かしています。手抜きとか言わないでください。

 

 以下各車の紹介です。

 

ST-1100編成

 7次車をモデルとしており、キロ261は製品の窓下にビードを追加したのみ、キハ260-1100はきょーやさんから頂いた複製品の窓上ビードを削り塗装しました。

 

キハ260-1300(3〜6次車タイプ)

 こちらは最初は作るつもりはありませんでしたが、4年前のさっぽろに合わせ261系を作ろうとしていた際に集めた789系の中間車を有効活用しようと考え製作。折角ならと現行製品種車を7次車、789系金型種車を6次車にすることとしました。ドア位置を極力現行製品を改造した1300に合うように切り継ぎをしました。窓、扉埋めのほか、クーラーのモールドを片側埋め261系と共通にし、ビードを上にも追加して7次車との差別化を図りました。1両は789系由来の小窓モールドを残しつつ窓を黒く塗らず埋め窓風にすることで3次車としました。

 

キハ260-1300(7次車タイプ)、キハ260-1400

 こちらは製品の寸法を活かしつつ、小窓と乗務員扉を埋めて窓下にビードを追加、1400は両側面に車掌室窓を客用扉の横に追加しています。1300の7次車と1400は同じ区所には所属していないのですが気にしたら負けです。そのうち北斗おおぞらそれぞれの長編成が組めるよう増備したいですね。

 

ST-1200編成

 キハ260-1200は基本的に1300と同じですが、側面片側のみに車掌室窓を追加しています。1400と同じ7次車ですが、車掌室窓が四角ではなく角が丸みを帯びています。

 キハ261-1200は製品にビードを追加したのみです。

 

 

205系600番台これまでの振り返り 湘南色編その2

 残りの4編成も振り返っていきます。今回はY1編成から。

 

 Y1は2013年7月1日の出場。番号的には600番台のトップナンバーを冠していますが、600番台は種車の編成番号が偶数番だと−1、奇数番だと+1になるように改番されたので、このY1は元ケヨ2編成となります。写真は出場翌月に日光線の運用に入る姿。2週間後に宇都宮線での営業運転も控えています。

 

 黒磯駅1番線を発車する宇都宮線デビューしてまだ間もないY1。まだ構内直流化の話もそこまで話題になってなかった頃で機待線には直流ELがいます。1番線の上り方にデッドセクションがあったため、1番線に発着する列車は到着直前、発車直後に車内の照明が消えるのが特徴的でした。

 

 2パン上昇後のY1。これといった特徴もなかったY1ですが、1番という番号的に撮れたり乗ったりするときに少し嬉しくなる編成ではありました。

 

 2015年3月より本物の出会い栃木キャンペーンに伴い、この年の前にY8に施されていたゆるキャララッピングを更に派手にした、とちキャラーズラッピング編成となりました。600番台で腰部にもラッピングが施されたのは初となりました。このラッピングは遠目で見てもだいぶ目立っていましたね。

 

 代掻きを終え田植え待ちの水田の傍をゆくラッピング時代のY1。このラッピングは翌年1月まで続きました。

 

 ラッピングが剥がされて少し経った頃のY1。カシオペアを撮りに来ており、雪晴れを狙えるかと思いきや気温が上がり過ぎてこの有様。霧が出るほどなので午後には雪も無くなってました。そしてこの頃から宇都宮方のJRマークが消え始めてますね。

 

 2016年12月に撮影したY1。床下が綺麗めなので検査明けからそれほど経ってない頃でしょうか。JRマークも復活しています。

 

 引退1週間前のY1。JRマークが死にかけです。この編成に限ったことじゃないですが、末期はスカートの塗装が一部剥げてる編成が何本か見られましたね。

 

 

 

 Y9編成は2013年7月末に出場。600番台メルヘン顔では最後の出場となり、8月下旬の黒磯までの営業運転開始前に日光色4編成、湘南色6編成の計10編成が出揃いました。しかし211系の運用は205系が運用入りした後もまだ2運用残っていました。メルヘン顔の205系はこのとき既に武蔵野線用の編成しか残っておらず、この時点でどのようにして211系の運用を置き換えるかは憶測の域を出ませんでした。

 

 小金井行きのY9。パンタを2丁上げ始めた頃です。

 

 

 何のせいか忘れましたが、氏家以南運転見合わせにより氏家折り返しの上り列車として運転されたY9。氏家幕を撮れたのはこのときだけでした。同じ日に運用が乱れて小山の運用に入ってた国府津の233系がこれまた黒磯ローカルでのダイヤ乱れで205系の運用に入っていました。

 

 

 黒磯方にとちキャララッピングのY1を従えるY9先頭の8連。この頃は北斗星が無くなり虚無になりながら撮ってましたね。

 

 

 今度は矢板の表示を出すY9。矢板駅での撮影なので、折り返し待ちで幕を回す前の様子です。メルヘン顔のイレギュラーな行先は何故かY9ばかりですね。この時は送電系統か信号の不具合だったと思いますが、那須方面に出かけていたので、西那須野から代行バス矢板まで来て、この矢板始発のY9に乗り込みました。隣のY7は矢板1番に入ってしまったので、折り返すことも出来ず再開を待つのみでした。

 

 定番ポイントでのY9。14系500番台の譲渡甲種待ちでした。

 

 そして末期1年のY9はほとんど運用に入らない日々が続き、稼働しても数ヶ月に一度とかそんなレベルでした。走行距離調整の関係かと思われますが、Y9だけ極端に距離が多かったんでしょうかね?

 

 そんなこんなで205系最終日、黒磯からの205系最終営業列車の運用に入っていたのがY9でした。そしてY9が自分にとっての205系最終乗車の編成となりました。いろはであるY3以外だと地元に帰ってきてからの半年で日光色を含めても最も乗れていなかった(1回)ので、いい締め括りになったのかなと思います。

 

 

 続いては原型顔の2編成です。

 

 600番台初の原型顔となるY12は2014年2月の出場となります。今までの10本と違い、元埼京線用の原型顔編成が種車の600番台として初めて姿を現しました。原型顔205系に新たなカラーバリエーションが加わった、しかも近郊型電車で王道の湘南色となり、当時は「噓電の具現化」等々話題となりました。

 登場時既に600番台が黒磯までの営業運転を始めていたものの、今までの例に漏れずY12は日光線から営業運転入り。黒磯運用に入ったのは3月に入ってからでした。

(写真の使いまわしごめんなさい)

 

 初めて黒磯運用に入ったのがパンタ2基上昇が定位になる直前だったので、Y12の1基のみ上昇時の写真自体が少ないですが、8連に入る姿はギリギリ撮影していました。1基上昇時代の混色8連の次くらいに実現回数は少なかったと思われます。

 

 黒磯デビューした翌月のY12を矢板にて。床下はまだ綺麗ですがパンタは2基上昇しています。

 

 宇都宮駅でのY12。登場前まで東京の電車だと思ってただけに、まさかこの顔が日常でお世話になるとは思いもしませんでした。ちなみにY12は600番台で初めての内扇モーター搭載車でした。

 

 1枚目と同じ場所で撮ったY12。およそ3ヶ月後ですが、その間にパンタは2基上昇が定位になり、橋梁は補修の上塗り替えられ、2枚を比べても変化に富んでいることがわかります。

 

 2016年の大宮鉄道ふれあいフェアにて車掌体験に使われるY12のクハ205。那須塩原表示や日光線内各駅の表示など珍しい表示も見ることが出来ました。

 

 最後の1年のGWに撮影したY12先頭の8連。17年から昨年夏までは地元を離れてたのでその間の記録はほぼ無いです。離れていた間に原型顔の顔色は悪くなったように思います。Y11の宇都宮方は極端ですが(

 

 試運転の131系TN1編成と並ぶY12。ラスト1年のY12はJRマークも消えかかっています。ライトの色が対照的ですね。

 

 そして引退までの1ヶ月、Y12に前後それぞれ異なるヘッドマークが付けられました。正直ヘッドマークが付かなかったら付いてない他の編成の末期も記録していたかすら怪しいので、記録には難儀しましたが付いてくれてよかったとは思います。2017年初頭以降の記録が絶望的になかったので...。

 

 同じ日の黒磯方のヘッドマーク。マークが付いてから改正までの数少ない土日ではやはり記録がとてもしにくかったです。

 

 

 そして600番台で最後に登場したのがY11。2014年3月の出場となります。Y11は600番台で唯一登場時からパンタ2基上昇が定位となっている編成でした。登場時はY12と同じく内扇モーターでした。

 

 8連の宇都宮方のY11。この時は後ろも原型顔のY12でした。右に写り込んでるモーターカーが東日本カラーの400Aで時代を感じます。

 

 下り8連の先頭に立つY11。全検明け最初の運用で黒磯まで来たEF66 27のついででしたがこれ含め普通電車も満足できる記録になりました。朝の下りで順光になるポイントが少ないので。

 

 矢板表示で走行するY11。決して誤表示などではなく、矢板以北で何らかの理由で運転を見合わせていたための措置です。この後実際に使用しているY9の矢板幕も撮影出来てますが、原型顔のイレギュラーな行先表示は実際に使っているところだとこのY11くらいですね。しかも路線名と交互表示のため、走行中に行先表示で来てくれるかは運次第なのによく沿線で撮ったなとは思います。

 

 定番ポイントでのY11。この頃何故かY11の記録ばっかでY12がほとんど記録出来てませんでした。まだ宇都宮方の前面帯が綺麗ですね。

 

 最後の1年の日光色との混色が来ても話題にならなかった頃のY11先頭混色8連。原型顔先頭の混色の記録がなかったので個人的に嬉しい記録となりました。

 

 そして末期のY11先頭8連。宇都宮方の前面の緑がお亡くなりになった姿を順光で撮れたのはこのときくらいでした。生き生きしてる姿の頃の記録が潤沢なので末期のこの姿に食指が向かなかったってのはありますね...。

 

 

 ...とまあ各編成の振り返りは以上となります。記事を書くに当たってこれまで撮影した写真を記事に載せてない分も含めて振り返ってみましたが、205系以外でもこんなの撮ってたんだーっていうのがしばしばあって面白かったですね。機会があればその辺も記事にしてみたいですね。というか205系自体がメインじゃない撮影の方が多いので...。

 いちばん多かった2014年~2016年の記録がほとんどなのはお許しください。

 

 気が向いたら後編も書きます。