砂川トラベル道東征伐編 1日目 2018.10.29

 

 f:id:aoruchan501_1201:20190103175229j:image

旅の始まりは札幌駅から。今回は、やは・砂川・青流の3人での1泊2日の旅です。

砂川トラベルで宿泊が絡むのは甲州長野編以来2回目となりますが、僕は不参加なので、詳細は主催かっこわらいのブログへどうぞ。→

砂川トラベル甲州長野編その1 ( 鉄道、列車 ) - 砂川鉄道広報課 - Yahoo!ブログ

ちなみに道東を攻めることが決まっていたのは約1ヶ月前(出発日の10月29日基準)。主目的である太平洋石炭販売輸送の運炭列車を見に行くこと以外は、どこを巡るか、どこで泊まるか前日まで決まっておらず、移動手段も当初は札幌からレンタカーのはずが、峠の積雪が予想されることから急遽釧路までは鉄路で向かうことに。宿や列車、レンタカーの予約等々は、プラレールひろばinさっぽろの終了後に3人で分担して行うという駆け込みっぷり。前日予約でもえきねっとのおかげでスーパーおおぞらの指定席料金が4割引きだったのは驚き。お先にトクだ値じゃなくても割引率高いもんなんですね。

 

 

f:id:aoruchan501_1201:20190103175320j:image

 予習したり駄弁ったり鼻血が出たり寝たりキハ283を楽しんでるうちに釧路に到着。なかなかいい感じの駅だと思います。

 

 

f:id:aoruchan501_1201:20190103175414j:image

雄別鉄道はお乗り換えです。塞がれてはいるものの地下道はそのままです。

 

※画像なし

 まずは車を借ります。今回借りるのはカローラアクシオ君。2日間お世話になります。

 

f:id:aoruchan501_1201:20190103175441j:image

既に時間がカツいので車を借りたらすぐ飯屋に向かいます。昼食は帯広を中心に展開してるインデアンのカレーを頂きます。

 飯の後釧路駅で記念入場券を回収していざ出発。少し車を走らせるとホビーオフが見えてしまったので寄りましたがプラレは不作。バスコレが割と豊富だったので数台購入。

 

 

f:id:aoruchan501_1201:20190103175524j:image

雄別鉄道の廃線を秒で観光してから釧路湿原の脇っちょを通過して鶴井村営軌道の廃線を辿ります。ちょっとでも制限速度を超えるとナビが指摘してくれるやさしい仕様でした(?)

 

 f:id:aoruchan501_1201:20181029132524j:plain

約1時間車を走らせて到着したのは鶴居村ふるさと情報館みなくる。ここには簡易軌道を走っていたDLと自走式客車が保存されています。2両とも桑園にあった泰和車輛工業で製造された道産子車両です。

 

 

f:id:aoruchan501_1201:20190103172758j:image

鶴居の簡易軌道の車両を見た後は、再び車を走らせ次の目的地へ向かいます。いかにも北海道的な風景が広がっていて感動。

 

 

f:id:aoruchan501_1201:20190103172901j:image

鶴居から約1時間ほどで今度は標津線西春別駅跡にある別海町鉄道記念公園に到着。ここには樺太D51、ヨ3500、キ100、キハ22が保存されています。国内の樺太D51はここの27以外では、旧富内線振内駅跡に25のみとのこと。他にも4両日本に帰ったみたいですが解体されて現存していません。

 

 

f:id:aoruchan501_1201:20190103173256j:image

D51は連結器が向こうの仕様になっているので、日本の柴田式自連とは連結ができませんが、遠目でヨと連結してるように見える距離まで間隔が詰められてます。ていうか連結器同士が接触してます(

キハ22はシートが被せられていて全貌が拝めず。再履修案件ですね。

駅自体は廃止されてますが、この辺の地名や郵便局には西春別駅前の名前が残っています。

 

さて次の目的地へ急ぎます。割と日没前に着けるか怪しくなってきたので、安全に急いでパイロット国道をスペシャルログインボーナスの方角へ進みます。

 

 

f:id:aoruchan501_1201:20190103173523j:image

40分くらいで次の目的地でありこの日の本命、旧標津線厚床支線の奥行臼駅に到着。駅舎がそのまま残されていますが、それだけではありません。

 

 

f:id:aoruchan501_1201:20190103173629j:image

構内数百mに渡って線路が廃止当時のまま残されています。今にもキハがやってきそうです。ちなみにここには標津線の他、別海村営軌道という簡易軌道の終着駅でもありました。

 

 

f:id:aoruchan501_1201:20190103173717j:image

ちょっと南西には簡易軌道の車両が保存されています。ここにも自走式客車がいますが、ここのは釧路製作所製。裏のDLはお馴染み加藤製。貨車はミルクゴンドラ車とよばれるもので、各農家から集乳缶を載せて上風連の集乳工場へ運んでいたそう。

 

 

f:id:aoruchan501_1201:20190103173804j:image

f:id:aoruchan501_1201:20190103173854j:image

車両が保存されている場所自体が廃線跡で、ここには転車台の跡や、車庫、クレーン荷役装置の跡も残っています。

 

もう一回標津線奥行臼駅に戻るとやはさん主催のプラレールひろばinおくゆきうすが開催されていました。おそらく日本最東端のプラレ運転会です。設営から片付けまで秒でした。

 

奥行臼を後にして、厚床へ向かいます。トイレ休憩も兼ねてセブンに入場。コンビニ自体少ない上にこの辺でセブンはレアらしいです。トイレと缶ガラナ補給を済ませます。

 

 

f:id:aoruchan501_1201:20190103174005j:image

根釧国道を西へ向かって着いたのは茶内駅付近のふるさと公園にある浜中町営軌道の8tDL。奥行臼の自走客車と同じ釧路製作所製です。

 

後ろの台車はかつて自走客車が履いていたもの。かつてはここにも自走客車がいましたが、車体は解体されて現存しません。

 

ひとまず今日はここまで。とはいっても釧路までは70キロ弱あります。再び根釧国道を走っていると、駅にヨンマルが停まっているじゃありませんか。花咲線は所定キハ54なので40はそこそこレアだそう。

 その後厚岸の道の駅で土産を買おうとするもまさかの定休日で撃沈。結局数十キロに渡って40と並走することになりました。

 

そろそろトイレに行きたくなったものの、付近のコンビニは0。釧路まで我慢するかーと思ったら、やはさんから「あのヨンマル乗ればいいんじゃね?」という案が出ます。

尾幌で乗れそうかと思ったものの、線路が国道に対してインカーブになった地点で追い着かれ間に合わず。次に国道と花咲線が接近するのは別保なので、そこまで我慢します。

 

f:id:aoruchan501_1201:20190103174058j:image

列車の8分ちょい前くらいに別保駅に到着。限界だったのと周りが真っ暗だったのもあってその辺の茂みで用を足します。ほどなくして40が来たのですかさず乗車。10分ちょいですが初乗車の北の40を楽しみます。

ローカル線の駅で車から降ろされて列車に乗り込むのは今年(2018年)に入って実は2回目。記事は出してませんが砂川トラベル渡道失敗撤収編で磐越東線赤井駅から乗ってました。

 

※画像準備中

釧路に着くと、54に首都圏色の40に283という個人的北海道っぽいよさそう並びが展開されてました。タラコの方はトリプルセブンこと777。こちらも花咲線運用でした。

 

 

※画像準備中

この後カローラに回収してもらえるはずが、やけに遅いので駅前で適当にバスを撮ります。元都営のU-MPが普通に動いててちょっと感動。そこそこの台数いるみたいでさすが北海道です。

 

20分くらい待ったらバスターミナルの向かいにいると電話があり、1時間ぶりくらいに再会。なんでも2人もよさそうなトイレ(ホビーオフ)に寄っていたとのこと。プラレはそこそこ、何故かスーパーレールが充実していたらしいです。再びホビーオフへ行き、なゆほが欲しい物と俺が欲しい新幹線アニバーサリーセットを購入。文字通り財布に無慈悲になったので、所持金がピンチに。

 

 

f:id:aoruchan501_1201:20190103174157j:image

ホテルにチェックインした後は、スパカツで有名な泉屋の本店で名物スパカツを頂きました。並でも結構ボリュームがあって胃袋を満たすには丁度いい量でした。ここで翌日のオホーツクの切符をえきねっとで予約しますが、砂川は砂川で降りるのに3人とも札幌までで予約してしまう手違いが発生。と思い込んでいたんですが翌日さらなる事実が発覚します。詳しくは2日目の記事で。

 

 

f:id:aoruchan501_1201:20190103174241j:image

ホテルに戻る途中で見つけたアトレ。一瞬「あのアトレか?」って思いましたが無関係の模様。居酒屋とかキャバクラが入るテナントっぽいです。

 

ホテルでは各自の部屋に戻り今日は終了。運転会までの疲れがあり秒で寝ました。1日目は比較的何もありませんでした。翌日はカットしますの連続でしたが、書きかけの記事を見て最早何をカットしたのか覚えてないので取り敢えず行ったとこだけ書いてこうと思います。